ゲームのテストプレイヤー(バグチェック)の仕事を始めたきっかけ

仕事を始めたきっかけ体験談

管理人(TERU)は20歳からゲームの品質管理の仕事を始め、現在まで一貫してこの仕事を続けて20年以上が経ちました。
最初はゲームに対しての品質管理でしたが、途中でスマホアプリやWebシステムなどを中心とした非ゲーム領域にシフトし、その後またゲーム業界に戻って数年が経ちます。

最近仕事の中で昔を振り返ることが多く、何かの参考になればと思いこの仕事を始めたきっかけについて記事化してみたいと思います。

最初は3DCGデザイナーを目指していた

管理人が中学生の時に初代PlayStationやセガサターンが発売され、これまで2Dでの表現だったゲームで3Dの表現が出来るようになり、ゲームが大きく進化しました。
小学生の頃からファミコンやスーパーファミコンをやりこんでいてゲームは好きではありましたが、高校に入り進路の話題になると、次第にゲーム開発に関わりたいと思うようになりゲーム業界で働く姿をイメージするようになりました。

ゲームが好きだからゲーム開発に関わりたい、当時先端的だった3DCGをやってみたい……といった程度で進路を決めてしまったので、若さゆえかあまり深く考えられていなかったですね(苦笑

進学先はゲーム系の専門学校で考え、色々調べて体験入学にも行き、実践的なカリキュラムを強みにしていた学校の3DCG科に決めました。
当時はパソコンを持っておらず入学してから必要になると考え、高校を卒業したあと専門学校入学までの春休みの間にアルバイトをしてパソコンを購入し、家でも学習出来る環境を整えていました。

そうして専門学校の入学を迎えていきます。

就職負け組

管理人は2年生のコースに入学し、1年次は主にデッサンや2Dグラフィックスを中心に履修、2年次は3Dグラフィックスや就職活動が中心でした。

高校は工業系だったため美術の授業は無く、中学の時の美術の成績も良くて並といったレベルだったため、デッサンや2Dグラフィックス制作は苦労しました。
高校で進路を考えていた当時、3DCGは美術的な要素はそこまで要らないだろうと勝手に思っていたのですが、いま思うとなんて無知だったのか……。

デッサンは時間をかければそれなりのクオリティは出せるようになったものの、2Dも3Dも創作センスが壊滅的でした。就職活動は3DCG系の職種で行っていましたが、たしかトータルで20社程度受けて内定をもらうことはできませんでした。
就職氷河期というのもあったとは思いますが、学科全体で内定が取れた学生の割合は40%程度だったと記憶しています。

3DCGのデザイナーとして内定が取れず卒業も近くなってきて焦りも出てきて、なんとかゲーム業界で働きたいと3DCG以外の職種でも仕事を探し始めました。その時にゲームのテストプレイヤーの求人に出会いました。

求人には未経験から始められてゲームをプレイする仕事と書いてあり、これなら自分にも出来る仕事でゲーム業界で働けると思い、早速応募することにしました。

テストプレイヤーの仕事開始!

管理人が応募した会社はテスト会社ではあったものの、大手パブリッシャーの子会社だったため、実質的にはそのパブリッシャーの品管のような立ち位置でした。
また、求人は登録制アルバイトだったため採用ハードルは低く高確率で採用されるような状況で、管理人も無事採用となりました。
(ちなみに専門学校の友人2人と管理人の3人で応募しましたが、なぜか1人だけ落ちていました……)

晴れてゲーム業界で働くことになりましたが、登録制アルバイトということもあり仕事を始めて1~2か月は週2~3日程度しかシフトに入ることができませんでした。

入社間もないテスターは比較的安定したタイトルにアサインされることが多いのですが、安定したタイトルではバグが発生しにくいんですね。バグを出せないから評価が上がらず、またバグレポートを作成する機会が無いのでバグレポート作成能力も向上しないなど、悪いスパイラルに入っていたように思います。

バグレポートは書き慣れるまでは酷い内容で、ひとつのバグレポート作成でリードテスターからのリテイクが何回も出てしまうほどでした。たまにリテイクが無くて安心していると、後日修正確認にまわってきたそのバグレポートは自分が書いた内容ではなくほぼ書き換えられていました。
これは自分の書いたバグレポートの内容がダメすぎて、リードテスターが開発に報告する際に書き直したということです。

当時はテスターひとりひとりにパソコンは与えられなかったため、テスターが自由にバグレポートを検索することも出来ず、バグレポートも手書きでした。
文章力を上げようにも参考となる情報が得られず、バグを出せるようにしていこうにもその観点情報が得られずと成長のハードルは少し高めだったかなと思います。

修正確認を行う際もバグレポートは紙に印刷して渡されましたが、この時はチャンスとばかりに修正確認ついでに他テスターのバグレポートを読み込み、文章力、表現力、バグが出る観点など様々な情報を得るようにしていました。

そんなこんなありつつも少しずつバグを見つけられるようになり、少しずつバグレポートのリテイクも減っていき、気づけば週5日フルで安定的にシフトに入れるようになっていました。

テスターからリードテスターへ

テストプレイヤーとして活動を始めてから1年半くらい経ったころでしょうか。リードテスターへの昇格の話をいただきました。

リードテスターとは、いわゆるデバッグリーダーのことですね。その会社ではデバッガー、デバッグリーダーという呼び方はしておらず、テスター、リードテスターという呼び方をしていました。

リードテスターになると時給が+100円程度となったため、管理人は昇格の話を快諾しました。快諾の理由は給料アップ以外に、自分の考えや判断で物事動かしていきたかったり、そのタイトルの品質を自分が担っていきたいという野心めいた部分もありました。

実際やってみて、最初はテスターに自分の指示や意図の伝え方に苦労しましたが、管理系の仕事は性に合っていたのか、方針や計画を立てたり作業のコントロールをしていくのは楽しかったです。
最初はテスター2~3人規模のタイトルのリードテスターでしたが、徐々に任される規模感が大きくなったり重要タイトルを任されるようになり、気づけば『〇〇(タイトル名)だったら管理人だよね』と社内認知されるようになりました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
ゲーム系などの学校からゲームの品質管理に流れてくる人は意外と多く、管理人もその中のひとりでした。

テスターとしてバグを見つけていくことは面白いのですが、テスターよりも上位の役割ではそれ以上の面白さがあります。管理人はリードテスター時代はとても充実した日々でしたし、このときの経験がマネージャーとしての土台にもなっています。

テストエンジニアやQAエンジニアは業種を問わず専門職として認知されてきており、その重要度が年々増してきています。
ゲーム業界に起きている変化については以下の記事でまとめていますので、気になる方はぜひお読みください。

この仕事は始めるハードルが低い分、スキルアップするための努力や工夫、学習などは必要になりますが、非常にやりがいのある仕事と言えるでしょう。

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